イエスの誕生について 新改訳聖書マタイの福音書2章 ①


エスの誕生については、マタイの福音書2章と、ルカの福音書2章に、詳しく書かれています。『新改訳聖書』は、「第三版」を使用しています。

マタイの福音書2章を読むと、一見、イエスが、生まれたばかりのときのことが書かれているかのように思えます。それは、2章1節に次のように書かれているからではないか、と思われます。

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 2章1節
エスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
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1行目に、「お生まれになったとき」という言葉があります。この言葉から、生まれて間もないとき、生まれてすぐのとき、生まれたばかりのとき、というような印象を受けるのです。この「お生まれになったとき」の「とき」という訳語ですが、この部分は、原語では、「分詞」になっています。

「分詞」になっているということはどういうことか、と言いますと、文脈によってさまざまな意味になる、ということです。

例えば、大貫 隆『新約聖書ギリシア語入門』では、103ページの§355に、七つの意味が書かれています。

(1)~する時/した時(時)
(2)~しながら(状況)
(3)~を使って(手段)
(4)~の理由で(原因)
(5)~ならば(条件)
(6)~だとしても(譲歩)
(7)~するために(目的)

の七つです。

新改訳聖書』では、「お生まれになったとき、」という訳語になっているのですが、例えば「文語訳」では、「生れ給ひしが、」となっています。

訳が2種類あることになります。
 
 ①「とき、」と
②「が、」
 
 の2種類です。

①の「とき、」という訳語は、上記『新約聖書ギリシア語入門』の「七つの意味」のうちの「(1)~する時/した時(時)」に当てはまるので、こちらは、とても分かりやすい、と言えます。

これに対して、②の「が、」という訳語の方はどうでしょうか。上の「七つの意味」のどれかに、当てはまるでしょうか。当てはまるものは無いように思えます。

しかし、あえてこの「七つの意味」からどれかを選ぶとしたら、わたしは、「(2)~しながら(状況)」を選びます。「お生まれになりながら」という訳語は採用できませんが、「状況」を表している、と考えて、「お生まれになったが、そういう状況のもとで」と考えるのです。

つまり、「イエスは、ヘロデ王の時代に、ユダヤベツレヘムでお生まれになったが、そういう状況のもとで、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。」というように考えるのです。

この場合の「そういう状況のもとで」というのは、「ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったという状況のもとで」ということです。ちょっと、苦しいでしょうか。わたしとしては、ちょっと苦しいように思えるのですが、これでよいようにも思えます。

①の「とき、」と②の「が、」以外の訳は考えられないでしょうか。(4)の「~の理由で(原因)」も考えられるのではないかと思います。この意味の訳を当てはめると、次のようになります。

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 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤベツレヘムでお生まれになったので、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
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「イエスの誕生について 新改訳聖書マタイの福音書2章 ②」に続きます。