「神殿」について その8

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書37章21節(その7冒頭)に、次のように書かれています。
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21節
彼らに言え。神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、イスラエル人を、その行(い)っていた諸国の民の間から連れ出し、彼らを四方から集め、彼らの地に連れて行(い)く。
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「その7」で述べたように、1行目の、「彼らに言え」の「彼ら」というのは、同章19節(その7前半)の「彼らに言え」の「彼ら」と同じで、18節(その7前半)1行目の「あなたの民の者たち」のこと、と言うことができます。

 

この「あなたの民の者たち」というのは、エゼキエル書1章1節(その7後半)の、「捕囚の民」のことと言うことができると思います。

 

そうすると、37章21節(上記冒頭)の、「彼らに言え」の「彼ら」というのは、「カルデヤ人の地」(1章3節、その7後半)にいる、すなわち「バビロン」にいる「捕囚の民」のこと、ということになります。

 

これに対して、37章21節最後の行の、二つの「彼ら」というのは、21節2行目の「イスラエル人・・・」のこと、と言うことができます。

 

この「イスラエル人」というのは、「バビロン」にいる「捕囚の民」のことではない、と言うことができます。

 

第一に、21節1行目から、「・・・わたしは、イスラエルを、その行(い)っていた諸国の民の間から連れ出し、・・・」とあります。

 

「わたし」というのは、「神である主」(21節1行目)のことです。

 

一見するとそれは、エズラ記の時代に、捕囚としてバビロンにいたイスラエルの民を、バビロンから連れ出すことのように思えます。

 

しかし、「イスラエル人を、その行(い)っていた『諸国の民の間から』連れ出し」、とあります。

 

『諸国』ですから、一国ではなく、もろもろの国、つまり『国々』を意味します。

 

バビロン一国から連れ出すのであれば、『諸国の民の間から』ではなく、『バビロンから』連れ出す、というようになると思います。

 

第二に、21節最後の行に、「・・・彼らを四方から集め、彼らの地に連れて行(い)く。」とあります。

 

「彼らを『四方から』集め」とあるので、『バビロンから』集めるのではない、ということがはっきりします。

 

「わたし(すなわち、神である主)は、『イスラエル人』を、その行(い)っていた『諸国の民の間から』連れ出し、彼らを『四方から』集め」る、と言われていることから、この『イスラエル人』というのは、エゼキエル書の時代に、捕囚としてバビロンにいたイスラエルの民のことではない、と言うことができます。

 

またエズラ記の時代に、捕囚としてバビロンにいたイスラエルの民が彼らの地に帰って来たときの『イスラエル人』のことでもない、と言うことができます。

 

その9、に続きます。