「権威」について その2

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書9章5節と6節(いずれも、その1冒頭)に、次のように書かれています。
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5節
『あなたの罪は*赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。

 

* 直訳「赦されている」

 

6節
人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風(ちゅうぶ)の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。
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6節に、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。・・・」とあります。

 

このことばはイエスが言われたことばです(その1冒頭の9章4節をご参照ください)が、律法学者たちが『心の中で、「この人は神をけがしている」と言った』(同章3節、その1冒頭)ことに対して言われたことばです。

 

したがって「あなたがた」というのは、「律法学者たち」のこと、と言うことができると思います。

 

「あなたがたに知らせるために」は、「『律法学者たち』に知らせるために」、となります。

 

5節に、「『あなたの罪は*赦された(直訳、赦されている)』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。」とあります。

 

「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがた(すなわち、律法学者たち)に知らせるために」(上記冒頭6節)、「『あなたの罪は*赦された(直訳、赦されている)』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。」(上記冒頭5節)という文脈になります。

 

エスが中風(ちゅうぶ)の人に、「あなたの罪は赦されている」(2節、その1冒頭)と言われたとき、律法学者たちは、『心の中で、「この人は神をけがしている」』(3節、その1冒頭)と言いました。

 

このことから、律法学者たちは、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていること」を知らなかった、と言うことができると思います。

 

もしそのことを知っていたら、『心の中で、「この人は神をけがしている」』とは言わなかった、と考えられます。

 

エスは中風(ちゅうぶ)の人に、「あなたの罪は赦されている」と言われましたが、実際に「赦されている」かどうかは、外から見ただけでは分からない、あるいは、分かりにくいと思います。

 

つまり、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っている」かどうかは分からない、あるいは、分かりにくい、ということです。

 

そこでイエスは、『起きて歩け』ということについて言われたのだと思います。

 

つまり、イエスが「あなたの罪は赦されている」と言われただけでは、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っている」かどうかは分からない、あるいは、分かりにくいので、『起きて歩け』ということについて言われた、ということです。

 

エスは、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていること」を、律法学者たちに「知らせるために」、『あなたの罪は赦されている』と言われただけではなく、『起きて歩け』ということについても言われた、のだと思います。

 

『あなたの罪は赦されている』と言われただけでは、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていること」は、律法学者たちには分からなかった、のです。

 

おそらく、群衆も分からなかったと思います。

 

その3、に続きます。