『新改訳聖書』第3版のヨハネの福音書12章31節に、次のように書かれています。
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31節
今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。
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1行目に、「・・・この世を支配する者・・・」とあります。
この言葉から、「この世を支配する者」はこの世を支配している、と考えられます。
それは誰でしょうか。
ある特定の『人』でしょうか。
ある特定の『人』が、この世を支配しているとは思えません。
もしある特定の『人』がこの世を支配しているとすると、「今、この世を支配する者は追い出されるのです」(上記31節1行目から)、というのはどのように理解したらよいでしょうか。
今、その特定の『人』は追い出されるのです、ということになりますが、その場合、「追い出される」というのは、どう考えたらよいでしょうか。
ヨハネの福音書12章31節(上記冒頭)には、「追い出される」とあるのですが、どこから追い出されるのかについては書かれていません。
仮に、「この世」から追い出されるのだとすると、「この世」から追い出されるというのは、どのようなことを意味するでしょうか。
死ぬ、ということでしょうか。
もし「死ぬ」ということだとすると、「この世を支配する者」は死ぬ、ということになります。
ヨハネの福音書12章31節(上記冒頭)に、「今がこの世のさばきです。」とあって、「今、この世を支配する者は追い出されるのです。」とあります。
この文脈からすると、「この世を支配する者」が追い出されることは、「よいこと」のように思われます。
イエスの時代に、「この世を支配する者」が死んでいたとすると、今は、「よい世」になっているのではないでしょうか。
ある特定の『人』の場合、「この世」から追い出されるというのは、「死ぬ」ということ以外には考えられないと思います。
追い出されるのが「この世」からではないとすると、どこからになるでしょうか。
今のところ、思いつくものはありません。
例えば「悪霊(あくれい)」であれば、『人』から、と言うことができます。
「悪霊」は『人』から追い出される、と言うことができます。
しかし、ある特定の『人』の場合は、『人』から、と言うことはできません。
ある特定の『人』の場合、どこから追い出されるのか、今のところ思いつくものはありません。
「この世を支配する者」がある特定の『人』である、というのは考えにくい、あるいは、考えられないと思います。
では、「この世を支配する者」というのは、誰のことであると考えられるでしょうか。
その2、に続きます。