「ネブカデレザル」について その20

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書25章6節と7節に、次のように書かれています。
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6節
ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならない。あなたがたが手で造った物によって、わたしの怒りを引き起こしてはならない。そうでないと、わたしもあなたがたにわざわいを与える。
7節
それでも、あなたがたはわたしに聞き従わなかった。―の御(み)告げ―それで、あなたがたは手で造った物でわたしの怒りを引き起こし、身にわざわいを招いた。」
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6節3行目から、「・・・そうでないと、わたしもあなたがたにわざわいを与える。」とあります。

 

「そうでないと」というのは、「ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならない。あなたがたが手で造った物によって、わたしの怒りを引き起こしてはならない。」ということを守らないと、のようなことと言うことができると思います。

 

言い換えると、「ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝」み、「あなたがたが手で造った物によって、わたしの怒りを引き起こ」すなら、のこと、と言うことができると思います。

 

「ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝」み、「あなたがたが手で造った物によって、わたしの怒りを引き起こ」すなら、「わたしもあなたがたにわざわいを与える」(6節)、という流れになる、と思います。

 

「わたし」というのは、「主」(5節、その19冒頭)のことです。

 

「主」が「あなたがたにわざわいを与える」(6節、その19冒頭)、ということになります。

 

7節(その19冒頭)に、「それでも、あなたがたはわたしに聞き従わなかった。・・・」とあります。

 

「それでも」というのは、「ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならない。あなたがたが手で造った物によって、わたしの怒りを引き起こしてはならない。そうでないと、わたしもあなたがたにわざわいを与える。」(6節)と言われていたのに、のことと言うことができると思います。

 

「ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならない。あなたがたが手で造った物によって、わたしの怒りを引き起こしてはならない。そうでないと、わたしもあなたがたにわざわいを与える。」(6節)と言われていたのに、「あなたがたはわたしに聞き従わなかった。・・・」(7節)、という流れになると思います。

 

「それでも、あなたがたはわたしに聞き従わなかった」(7節、その19冒頭)ので、「あなたがたは手で造った物でわたしの怒りを引き起こし、身にわざわいを招いた」(7節、同)、という流れになる、と言うことができると思います。

 

『わざわい』というのは、「・・・わたしは・・・わたしのしもべバビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せて、この国・・・を攻めさせ・・・る」(9節、その18冒頭)、のことではないでしょうか。