「子孫」について その5

新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙9章6節に、次のように書かれています。
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9章6節
しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、
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1行目に、「しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。」とあります。

 

続けて、6節から7節(その2、前半)にかけて、『なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、(7節)アブラハムから出たからと言って、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」のだからです。』とあります。

 

イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、アブラハムから出たからと言って、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」のだから、神のみことばが無効になったわけではありません、という文脈になります。

 

ローマ人への手紙9章4節に、「彼らはイスラエル人です。・・・」とあります。「彼ら」というのは、「私の同胞、肉による同国人」(ローマ9:3)のこと、と言うことができると思います。

 

「彼らはイスラエル人です」が、そのイスラエル人は、パウロに、「大きな悲しみ」を起こさせ、パウロの心に「痛み」を引き起こしているのです。(ローマ人への手紙9章2節参照)

 

なぜでしょうか。

 

「義の律法を追い求め」(ローマ9:31)たからではないでしょうか。

 

へブル人への手紙11章17節(その3、後半)の『約束』が、例えば、ローマ人への手紙4章13節に書かれている『約束』、すなわち「世界の相続人となるという約束」だとすると、イスラエル人はその約束に与(あずか)ることはできない、と言うことができると思います。

 

なぜなら、「世界の相続人となることは、信仰による」(ローマ4:16)からです。イスラエルは、「信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように追い求めた」(ローマ9:32)のです。つまり、「義の律法を追い求め」(ローマ9:31)た、ということだと思います。

 

「世界の相続人となることは、信仰による」のであって、「律法による者が相続人である」(ローマ4:14)のではない、と言うことができると思います。

 

仮に、「イスラエルから出る者がみな、イスラエル」(ローマ9:6)であるとすると、イスラエルは、信仰を追い求めることはなく、行いによるかのように追い求めることになります。そうすると、相続人となることはできず、その約束に与(あずか)ることはできない、ということになります。「世界の相続人となることは、信仰による」(ローマ4:16)からです。

 

その6、に続きます。