ものみの塔の聖書解釈について(ダニエル2章)

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「ダニエル」2章の、ものみの塔がおこなっている解釈について、思うことを、書きたいと思います。
 
長くなりますが、まずは、その部分の引用をします。引用は「新世界訳聖書」からします。「新世界訳聖書」は、エホバの証人のホームページで、無料で読むことができます。
 
2章31節から44節まで、引用します。
 
31節  「王よ,あなたは見ておられました。そして,ご覧ください,途方もなく大きな像です。その像ですが,それは大きく,その輝きは一方(ひとかた)ならぬものでした。それがあなたの前に立っていました。その有様は怖ろしいものでした。
 
32節  その像は,頭は良質の金,胸と腕とは銀,腹と股(もも)とは銅,
 
33節  脚部は鉄,足は,一部は鉄,一部は成形した粘土でした。
 
34節  あなたはずっと見ておられましたが,ついにひとつの石が人手によらずに 切り出され,それが像の鉄と成形した粘土とでできた足のところを打って,これを砕きました。
 
35節  その時,鉄も成形した粘土も銅も銀も金も皆ともに砕けて,夏の脱穀場か ら出たもみがらのようになり,風がそれを運び去って,その跡形も見えなくなりました。そして,像を打ったその石は,大きな山となって全地に満ちました。
 
36節  「これがその夢です。そして,その解き明かしをわたしたちは王の前に申し上げます。
 
37節  王よ,あなたは王の王なる方です。天のは王国を,偉力を,強さと尊厳をあなたにお与えになりました。
 
38節  また,どこでも人の子らの住むところで,野の獣と天の翼のある生き物とをあなたの手にゆだね,それらすべての上にあなたを支配者としてお立てになりました。このあなたが,その金の頭です。
 
39節  「そして,あなたの後(のち)に,あなたに劣る別の王国が起こります。次いで別の王国,三番目の,銅のものが[起こり],それが全地を支配します。
 
40節  「そして,四番目の王国ですが,それは鉄のように強いものとなります。鉄は他のすべての物を打ち砕いたりひき砕いたりしますから,物を粉砕する鉄のように,これもそれらのすべてを打ち砕いて粉砕します
 
41節  「また,足とその指とが一部は陶器師の成形した粘土,一部は鉄でできて いるのをご覧になりましたが,その王国は分かたれたものとなります。ですが,鉄の硬さもその中に幾分かあることでしょう。鉄が湿った粘土と混ざり合っているのをあなたはご覧になったのです。
 
42節  そして,足の指が一部は鉄,一部は成形した粘土でできていることについ て言えば,その王国は一部は強く,一部はもろいものとなるでしょう。
 
43節  鉄が湿った粘土と混ざり合っているのをご覧になりましたが,それらも人の子らと混ざり合うことになります。しかし,鉄が成形した粘土と混じり合っていないのと同じように,それらも,それとこれとが堅く付くことはないでしょう。
 
44節  「そして,それらの王たちの日に,天のは決して滅びることのないひとつの王国を立てられます。そして,その王国はほかのどんな民にも渡されることはありません。それはこれらのすべての王国を打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時に至るまで続きます。
 
31節にある「王」というのは、「ネブカドネザル」です。そして、その節にある「あなた」というのは、「王」で、つまり、「ネブカドネザル」です。そして、44節までに出てくる「あなた」は、すべて、「王」つまり、「ネブカドネザル」です。
 
この、31節から44節までの話は、「ネブカドネザル」が見た夢をダニエルが言い当て、さらに、その夢の解き明かしをするものです。2章1節から読んでいただければ分かると思います。
 
ものみの塔は、ここに出てくる「像」の「金の頭」を「バビロニア」と考え、「胸と腕」を「メディア・ペルシャ」と考え、「腹と股(もも)」を「ギリシャ」と考え、「脚部」を「ローマ」と「英米世界強国」と考えています。「足」については、さしあたり、触れないでおきます。
 
この考え方は、ものみの塔聖書冊子協会が発行している『ダニエルの預言に注意を払いなさい』という、B6(B5の半分)ほどの大きさの小冊子の「第4章」、および、2012年6月15日の『ものみの塔』誌の12ページの「絵」を見ていただけると分かります。
 
「金の頭」を「バビロニア」と考えたのは、38節の「このあなたが,その金の頭です。」という記述からと思われます。ここの「あなた」は、「ネブカドネザル」であり、「ネブカドネザル」は、バビロンの王だからです。
 
そして、上記『ダニエルの預言に注意を払いなさい』の56ページに、「バビロニア」の下に、「西暦前607年以降」と書かれており、「メディア・ペルシャ」の下に、「西暦前539年以降」と書かれており、「ギリシャ」の下に、「西暦前331年以降」と書かれており、また「ローマ」の下には、「西暦前30年以降」と書かれています。
 
39節の「あなたの後(のち)に,あなたに劣る別の王国が起こります。」の「あなたに劣る別の王国」が「メディア・ペルシャ」で、「次いで別の王国,三番目の,銅のものが[起こり],それが全地を支配します。」の「別の王国,三番目の,銅のもの」が「ギリシャ」で、40節の「四番目の王国ですが,それは鉄のように強いものとなります。」の「四番目の王国」が「ローマ」(「英米世界強国」がこの「四番目の王国」に入るのかどうかについては、現時点では、明確な記述が見つからないので、保留にします)である、というのは、歴史を見ると、一見、なるほどと思います。
 
しかし、44節を見ると、それが一変します。
 
44節の「それらの王たち」というのは、だれでしょうか。「バビロニア」の王と、「メディア・ペルシャ」の王と、「ギリシャ」の王と、「ローマ」の王でしょうか。
 
同じ44節に、「それらの王たちの日に,天のは決して滅びることのないひとつの王国を立てられます。」とあります。ここの「天のは決して滅びることのないひとつの王国を立てられます。」の「決して滅びることのないひとつの王国」というのは、エホバの証人の方にうかがったところ、それは、1914年に立てられた、とおっしゃっていました。ここは、非常に重要ですので、わたしの認識に誤りがあるのであれば、どなたか、ご指摘していただきたいと思います。「1914年に立てられた」ということが間違いではないという前提で、話を進めます。
 
仮に「それらの王たち」というのを、「バビロニア」「メディア・ペルシャ」「ギリシャ」「ローマ」の王たちとします。そうすると、「それらの王たちの日に,天のは決して滅びることのないひとつの王国を立てられます。」というのは、どう考えたらよいのでしょうか。
 
バビロニア」「メディア・ペルシャ」「ギリシャ」「ローマ」というのは、「西暦前」の国々です。そうすると、「西暦前」に、「天のは決して滅びることのないひとつの王国を立てられ」た、ということなのでしょうか。
 
「西暦前」に、「天のは決して滅びることのないひとつの王国を立てられ」た、ということになると、「決して滅びることのないひとつの王国」は、「1914年に立てられた」のではない、となります。なぜなら、「1914年」は、「西暦前」ではないからです。
 
また、同じ44節に、「そして,その王国はほかのどんな民にも渡されることはありません。それはこれらのすべての王国を打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時に至るまで続きます。」とあります。この44節からの引用文の第一文については、ここでは、触れません。
 
第二文ですが、「それは」とあります。この「それ」というのは、直接的には、第一文の「その王国」をさす、と考えられます。そして、「その王国」というのは、その前の文にある「決して滅びることのないひとつの王国」、と考えられます。この考え方とは違う考え方がある、とおっしゃる方がおられましたら、教えてください。もう一度考えてみます。
 
つづけます。「それはこれらのすべての王国を打ち砕いて終わらせ」とあります。「これらすべての王国」とは、なんでしょう。「バビロニア」と「メディア・ペルシャ」と「ギリシャ」と「ローマ」でしょうか。「それは」の「それ」は、「決して滅びることのないひとつの王国」と考えられます。
 
「これらすべての王国」というのを、仮に、「バビロニア」と「メディア・ペルシャ」と「ギリシャ」と「ローマ」だとすると、「決して滅びることのないひとつの王国」は、やはり、「西暦前」に立てられた、ということになります。
 
「決して滅びることのないひとつの王国」が「1914年に立てられた」とすると、「これらすべての王国」を「バビロニア」と「メディア・ペルシャ」と「ギリシャ」と「ローマ」と考えるのは、不可能です。なぜなら、「それはこれらのすべての王国を打ち砕いて終わらせ」とあるからです。「これらのすべての王国を打ち砕いて終わらせ」るためには、「これらのすべての王国」は存在していなければならないからです。しかし、「バビロニア」と「メディア・ペルシャ」と「ギリシャ」は、「西暦前」にすでに存在しておらず、「ローマ」については、「1914年」以前にすでに存在していませんでした。したがって、「決して滅びることのないひとつの王国」は、「これらのすべての王国」を「打ち砕いて終わらせ」ることはできません。
 
みなさんは、どのように思われるでしょうか。また、エホバの証人の方々は、もし、このブログを見る機会があったとしたら、どのように、思われるでしょうか。