「新世界訳聖書」の日本語訳について(ルカ22章29節)

あるとき、新約聖書のルカ22章29節のギリシャ語を日本語にする機会がありま
 
した。
 
それは、あるエホバの証人の方から、「王国契約」という言葉を聞いて、わたしは、
 
分からなかったので、それは、どういう契約ですか、と訊(たず)ねたことが、きっ
 
かけでした。ちょうど、ギリシャ語の勉強をしていたこともあり、原文ではどうなって
 
いるんだろうと思い、翻訳してみることにしたのです。
 
 
「王国契約」というのは、ルカ22章29節にある、ということだったので、「新世界訳
 
聖書」の、その箇所を見ると、こうあります。
 
 
「それでわたしは,ちょうどわたしのがわたしと契約を結ばれたように,あなた方
 
と王国のための契約を結び,」
 
 
ここの、「わたし」というのは、「イエス」で、「あなた方」というのは、「使徒たち」です。
 
これを読むと、「イエスの父がイエスと契約を結んだ」ということと、「イエス使徒
 
たちと契約を結ぶ」ということが書かれている、というように読むことができると思い
 
ます。どんな契約かというと、「王国のための契約」です。「王国のための契約」で
 
あるということだけは分かりますが、具体的にどんな契約かは、ここからは分かり
 
ません。とにかく、「契約を結んだ」、あるいは、「契約を結ぶ」ということが言われ
 
ています。
 
 
また、「王国のための契約」なので、「王国契約」であるということが、予想されます。
 
 
ルカ22章29節の原文はこうです。
 
 
29 κἀγὼ  διατίθεμαι   ὑμῖν  
 
καθὼς  διέθετό  μοι  
 
ὁ  πατήρ  μου  βασιλείαν
 
 
これらの単語を分けると次の表のようになります。
 
 

 
 
 
 
 
κἀγὼ
διατίθεμαι
ὑμῖν
καθὼς
διέθετό
 
 
μοι
πατήρ
μου
βασιλείαν

 
①の単語について、辞書で調べた結果と、その訳例を表にしました。それが、こち
 
らです。
 

 
κἀγὼ
καὶἐγὼの合縮形
そしてわたし、しかしわたし
そして・しかしわたしは

 
 
①の「κἀγὼ」は、「カゴー」と読みます。これは、「καὶ」(カイ)と「ἐγὼ
 
(エゴー)の「合縮形」です。わたしは、「合縮形」という言葉にはなじみがないので、
 
見てすぐ、ピンとはこないのですが、「かみくだく」と、合わさって、縮まった形、で
 
しょうか。
 
 
καὶ」(カイ)は、「そして」「しかし」というような意味です。また、「ἐγὼ
 
(エゴー)は「私」という意味です。これが、この文の主語になり、「わたしは」という
 
ような意味になります。
 
 
①全体では、「そしてわたしは」、あるいは、「しかしわたしは」というような意味にな
 
ります。
 
 
次回につづきます。