「新世界訳聖書」の日本語訳について(ルカ22章29節)

前回、ルカ22章29節の原文の①の単語「κἀγὼ」(カゴー)まで、見ました。
 
今回は②の「διατίθεμαι」(ディアティッセマイ)から、説明しま
 
す。
 
辞書で調べた結果と、その訳例が、こちらです。
 

διατίθεμαι
διατίθημιの間・現・直・1人・単
処理する、に譲る、に委任する
1人・単は)委任する

 
②「διατίθεμαι」(ディアティッセマイ)は、
 
διατίθημι間・現・直・1人・単」である、となります。
 
διατίθημι」は、「ディアティッセミ」と読みます。
 
 
まず最初に、「間」ですが、これは、「中間態」の略で、「中動相」ともいい、『新
 
約聖書ギリシア語入門』(大貫 隆 岩波書店)の7ページにこうあります。
 
 
「中動相はギリシア語に独特な相で、行為の結果が何らかの形で主語に再帰
 
る場合に用いられる」
 
 
例えば、「私は自分を洗う」というような場合です。「再帰」とは、『精選版 日本国
 
語大辞典』によると、「再び帰ること。」です。
 
 
「主語」は、今の例の場合、「私は」です。「行為」は、「洗う」です。そして、「自分を
 
洗う」ですから、「洗う」という「行為の結果」、例えば「きれいになった」は、「私はき
 
れいになった」ということになります。「再帰」というのは、このようなことだと思われ
 
ます。
 
 
次に、「現」は、「現在」の略です。「時称」は、「現在」である、ということです。「時称」
 
は、「時制」のことです。『広辞苑』では、「時制」は、こう説明されています。
 
 
「動詞が表す事態の時間的位置(過去・現在・未来など)を示す文法範疇。また、
 
それを表す言語形式。」
 
 
「範疇」は、「はんちゅう」です。「範疇」(はんちゅう)は、この場合、『広辞苑』の「同
 
じ種類のものの所属する部類・部門の意。」がよいかと思われます。
 
 
要するに、「時制」は、「現在」である、ということです。
 
 
次に、「直」は、「直説法」の略で、上記『新約聖書ギリシア語入門』によると、「ごく
 
大まかに言えば、直説法は確定した事実を述べる場合・・・に用いられる」というこ
 
とです。
 
 
次に、「1人」は、「1人称」の略です。「わたし」「わたしたち」などのことです。
 
 
次に、「単」は、「単数」の略です。
 
 
そして、「διατίθεμαι」(ディアティッセマイ)は、動詞で、
 
「処理する、に譲る、に委任する」というような意味です。また、「1人・単」が、この
 
動詞の主語になります。「1人・単」ですから、「わたしは」「ぼくは」など、となります。
 
 
そうすると、②の「διατίθεμαι」(ディアティッセマイ)は、
 
「(わたしは)処理する・~に譲る・~に委任する」というような意味になります。
 
 
以上が、②「διατίθεμαι」(ディアティッセマイ)の説明です。
 
 
次回につづきます。