「ネブカデレザル」について その11

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書52章5節から7節までに、次のように書かれています。
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5節
こうして町はゼデキヤ王の第十一年まで包囲されていたが、
6節
第四の月の九日、町の中では、ききんがひどくなり、民衆に食物(しょくもつ)がなくなった。
7節
そのとき、町が破られ、戦士たちはみな逃げて、夜のうちに、王の園のほとりにある二重の城壁の間の門の道から町を出た。カルデヤ人が町を包囲していたので、彼らはアラバへの道を行った。
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「第四の月の九日」(6節)、「そのとき、町が破られ」(7節)た、とあります。「そのとき」というのは、「町の中では、ききんがひどくなり、民衆に食物(しょくもつ)がなくなった」(6節)ときのこと、と言うことができると思います。

 

そのとき以降、エルサレムの住民は捕らえられたと考えられます。それまでは、「包囲されていた」(5節)とあるからです。

 

そうすると、ゼデキヤ王の第十一年の「第四の月の九日」(6節)に、「町が破られ」て以降、「第五の月の十日」(12節、その10中ほど)までの間に、八百三十二人がエルサレムから捕らえ移された(29節、その10冒頭)、ということになります。

 

「包囲されていた」(5節)間に、捕らえ移されたのかどうかについては、今のところ何とも言えません。

 

「町が破られ」て以降に捕らえ移された、という前提で話を進めます。

 

「第五の月の十日」(12節、その10中ほど)は、「バビロンの王ネブカデレザル王の『第十九年』」(同)ですから、「第五の月の『九日』」までの間のうち、どの期間かがバビロンの王ネブカデレザル王の『第十八年』であった、と考えることができると思います。

 

エレミヤ書52章30節(その10冒頭)に、次のように書かれています。
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30節
ネブカデレザルの第二十三年には、侍従長ネブザルアダンが、七百四十五人のユダヤ人を捕らえ移し、その合計は四千六百人であった。
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2行目から、「・・・その合計は四千六百人であった。」とあります。

 

それは、3023人(28節)+832人(29節)+745人(30節)=4600人(30節)、のことです。

 

1行目に、「ネブカデレザルの『第二十三年』には、・・・」とあります。

 

それは、「ネブカデレザルの『第十八年』」(29節、その10冒頭)の『5年後』です。

 

列王記の時代には、「ネブカデレザルの『第二十三年』」に、バビロンの王が、あるいは、侍従長ネブザルアダンがユダヤを捕らえ移した、ということは無かった、と言うことができると思います。

 

人々を捕らえ移したのは、ユダの王ゼデキヤの第十一年が最後だった、と言うことができるからです。『列王記の時代には』、です。

 

しかも、捕らえ移されたのは、「ユダヤ人」ではなく、「ユダ人(じん)」(Ⅱ列25:25)、すなわち、『ユダ』の人々だったからです。

 

しかし、エレミヤ書52章30節(上記)には、「七百四十五人のユダヤ人」(30節)が捕らえ移された、ということが書かれています。

 

つまり、そのとき、すなわち、「ネブカデレザルの『第二十三年』」(30節、上記)には、「ユダヤ人」(同)はそこにいた、ということです。

 

つまり、エレミヤ書52章30節(上記)に書かれていることは、『列王記の時代』のことではない、ということです。

 

言い換えると、ネブカデ『レ』ザルは、ネブカデ『ネ』ザルではない、ということです。

 

いかがでしょうか。どのように思われますか。