ありがとうございます。
無理はされなくてよいと思います。
ただ、わたしとしては、納得できるまで、いろいろとお訊きしたいのです。間違ったことは言いたくないからです。
回復訳聖書が信頼できるものかどうかに関わることだと思いますので、回復訳聖書をお勧めしておられるhhhhhh210さんとしては、責任をもって答えられるのがよいと思います。(leafy222’s diaryの、hhhhhh210さんへ。「LEさんへ その17」について(2019-11-20)、のhhhhhh210さんのコメントをご参照ください)
https://leafy222.hatenablog.com/entry/2019/11/20/041742
聖書に関しては、だれであっても、無責任な発言や、無責任なことは避けるべきだと思います。回復訳聖書をお勧めしていながら、「エンドレスのやり取り、議論は避けたいと思」われる、というのは、回復訳聖書に責任をもっておられないからではありませんか。いかがでしょうか。
答えられなくなった場合は、回復訳聖書が信頼できるものかどうかについて、疑問が生じるということになります。
そうすると、場合によっては、回復訳聖書を受け入れる人は「滅びる」、ということになりかねません。
わたしは、hhhhhh210さんが「滅びる」ことを望んではいません。神とイエスについて「正しい知識」を持つことを望んでいます。
わたしは無責任なことは言いたくありませんし、神とイエスについて「正しい知識」を持ちたいと望んでいます。そのために、間違ったことは言いたくないのです。
わたしが間違ったことや、間違っていると思われることを言っていると思われましたら、遠慮なくおっしゃって欲しいのです。
わたしは、間違ったことは言いたくないからです。
「私にとって興味のあるご質問」(hhhhhh210さんのコメント)にしかお答えにならないとすると、聖書を正しく理解することはできるでしょうか。
今は興味がなくても、将来は興味がでるかもしれません。
今興味がないものは、「保留」にするとよいのではないでしょうか。聖書について、興味のあるものだけを考えて、はたして、聖書を正しく理解できるのでしょうか。
聖書を読み進めているうちに、今は興味がないものであっても、考えることがあるかもしれません。
『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書13章22節に、次のように書かれています。
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13章22節
また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
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「わたしはやらなければならない雑事雑用がたくさんあり、またやりたいこともいろいろあります。」(hhhhhh210さんのコメント)というのは、「この世の心づかい」ではないでしょうか。いかがでしょうか。
今答えられないことには、お答えにならなくてよいのです。むしろ、答えてはいけないと思います。無責任な答えになると思うからです。
正しいものは正しいとし、間違ったものは間違っている、とする心があるとよいのではないでしょうか。
そこで、お訊きします。
「回復訳聖書ではダニエル書2:40」の全体はあるのでしょうか。