「怒り」について その4

新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録11章18節に、次のように書かれています。
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11章18節
諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒り*の日が来ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、また、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。

 

* 「の日」は補足

 

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また、ローマ人への手紙2章5節から10節までに、次のように書かれています。
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5節
ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。
6節
神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。
7節
忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、
8節
党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。
9節
患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行うすべての者の上に下り、
10節
栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行うすべての者の上にあります。
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6節に、「神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。」とあります。この場合の「報い」は、7節から10節までの記述からすると、「良い」意味での報いと「悪い」意味での報いの両方を意味していると考えられます。

 

7節と10節は「良い」意味での報いであり、8節と9節は「悪い」意味での報いである、と考えられます。

 

ヨハネの黙示録11章18節(上記、冒頭)に、「・・・あなたの御怒り・・・が来ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時・・・です。」とあります。

 

このうち、「死者のさばかれる時」というのは、ローマ人への手紙2章8節と9節に当たり、「あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時」というのは、同じ手紙の2章7節と10節に当たるのではないか、と考えられます。

 

これまで述べて来たことから、「あなたの御怒り」が来るときには、一方では、「報い」(黙示録11:18)が与えられ、同時に、他方では、「死者」が「さばかれる」のではないか、と考えることができると思います。

 

いかがでしょうか。どのように思われますか。