ピリピ人への手紙2章6節について その5

新改訳聖書』第3版のヨハネ福音書17章3節に、次のように書かれています。
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3節
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
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1行目から、「・・・『唯一のまことの神』であるあなた・・・」とあります。

 

このことばから、「あなた」というのは、『唯一のまことの神』のことである、と言うことができます。

 

「『唯一のまことの神』であるあなた」というのは、イエス言われたことばですが、17章1節に、「『父よ。』時が来ました。・・・」、とイエスが『父』に呼びかけていることから、3節1行目の「あなた」というのは『父』のことである、と言うことができます。

 

このように、「あなた」というのは『父』のことなので、『父』が「『唯一のまことの神』である」(17章3節、上記冒頭)、ということになります。

 

そうすると、『父を見た』(ヨハネ14:9、その4前半)というのは、『神を見た』ということである、となります。

 

そして、『父を見た』というのが、『父の姿』を見たということであるとすると、『父の姿』を見たというのは、『神の姿』を見たということである、となります。

 

また、「『わたしを見た者は、父を見た』のです」(ヨハネ14:9、その4前半)ということばから、イエスは『父の姿』をしている、と言うことができると思いますが、イエスが『父の姿』をしているということは、イエスは『神の姿』をしている、ということになります。

 

「その4」前半の、ヨハネ福音書14章7節から9節までの記述から、イエスは、「わたしを見た者は、父を見たのです」と言われることによって、わたしは『神の姿』をしているのです、と暗に言われているのではないでしょうか。

 

エスは『父の姿』をしているので、「あなたがたは・・・すでに父を見たのです」(ヨハネ14:7、その4前半)と言われ、「わたしを見た者は、父を見たのです」と言われたのだと思います。

 

そして『父』は『神』なので、イエスは『父の姿』をしている、というのは、イエスは『神の姿』をしているということである、と言うことができます。

 

「その4」第4段落のわたしの訳に、「・・・彼は神の姿(または形)において存在した・・・」とあります。

 

「彼は『神の姿』・・・において存在した」というのは、イエスは『神の姿』をしていたということである、と言うことができると思います。

 

さらに、「彼は神の姿・・・において存在した」(わたしの訳、その4第4段落)というのは、彼は「神と等しい」方であるということを意味していると思います。

 

いかがでしょうか。

 

つまり、イエスは「『わたしを見た者』は、『父を見た』のです」(ヨハネ14:9、その4前半)と言われることによって、ご自分が「神と等しい」ということを『暗に』言われたのではないか、ということです。

 

エスが、わたしは「神と等しい」と明確に言われたことはなかったと思います。

 

もしあったらもう一度考えますが、今のところ、イエスが、わたしは「神と等しい」、と明確に言われたことはなかったと思います。

 

その6、に続きます。