『新改訳聖書』第3版のハバクク書1章1節から3節までに、次のように書かれています。
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1節
預言者ハバククが預言した宣告。
2節
主よ。私が助けを求めて叫んでいますのに、
あなたはいつまで、聞いてくださらないのですか。
私が「暴虐」とあなたに叫んでいますのに、
あなたは救ってくださらないのですか。
3節
なぜ、あなたは私に、わざわいを見させ、
労苦をながめておられるのですか。
暴行と暴虐は私の前にあり、
闘争があり、争いが起こっています。
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2節下から2行目に、『私が「暴虐」とあなたに叫んでいますのに、』とあります。
また、3節下から2行目に、「暴行と暴虐は私の前にあり、」とあります。
エレミヤ書20章8節(その3、その5)に、『私は、語るごとに、わめき、「暴虐だ。暴行だ」と叫ばなければなりません。』とあります。
同じようなことが、すぐ上で見たように、ハバクク書1章2節と3節に書かれています。
その2節と3節から、「私の前」には「暴行と暴虐」があり、『私が「暴虐」とあなたに叫んでい』る、ということが分かります。
「あなた」というのは、「主」(2節)のことです。
また、ハバクク書1章4節に、次のように書かれています。
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4節
それゆえ、律法は眠り、
さばきはいつまでも行われません。
悪者が正しい人を取り囲み、
さばきが曲げて行われています。
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1行目から、「それゆえ、律法は眠り・・・ます。」とあります。
「それゆえ」というのは、「暴行と暴虐は私の前にあり、闘争があり、争いが起こってい」(1章3節)るゆえ、ということであると考えられます。
「暴行と暴虐は私の前にあり、闘争があり、争いが起こっているゆえ、律法は眠り・・・ます」、という文脈になると思われます。
正しいさばきが行なわれるような状況ではない、ということだと思います。
「律法」とあるので、それらの節に書かれていることは、イスラエルの民についてのことである、と言うことができると思います。
そして、エレミヤ書6章7節(その6)、および20章8節(その3、その5)の記述などとも考え合わせると、場所は、おそらく、『エルサレム』ではないかと思われます。
今「おそらく」と言いましたが、ほぼ間違いなく、『エルサレム』だと思います。
いかがでしょうか。どのように思われますか。