「死」について その10

新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙4章25節に、次のように書かれています。
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4章25節
主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
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1行目から、「主イエスは、私たちの罪のために『死に渡され・・・た』からです。」とあります。

 

主イエスは、『死に渡された』、とあります。

 

エゼキエル書31章14節に、次のように書かれています。
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31章14節
このことは、水のほとりのどんな木も、そのたけが高くならないためであり、そのこずえが*雲の中にそびえないようにするためであり、すべて、水に潤う木が高ぶってそびえ立たないためである。これらはみな、死ぬべき人間と、穴に下る者たちとともに、地下の国、死に渡された。

 

* 七十人訳による
ヘ 「茂みの間に」

 

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4行目から、「・・・これらはみな、・・・『地下の国、死に渡された』。」とあります。

 

この記述から、『死に渡された』というのは、『地下の国・・・に渡された』ということである、と考えることができると思います。

 

ローマ人への手紙4章25節(上記冒頭)の、主イエスの場合と同じ、『死に渡された』という言葉が用いられています。

 

日本語訳で、『死に渡された』、です。

 

日本語訳だけで考えるとすると、「主イエスは、・・・『死に渡され・・・た』」(ローマ4:25)というのは、主イエスは『地下の国・・・に渡された』、と考えることができると思います。

 

「地下の国」については、「地下の国」について その1(2021-07-08)から「その3」までをご参照ください。

 

新改訳聖書』第3版のヨハネ福音書8章51節(その4、前半)に、「・・・だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません。」とあります。

 

この中の「死を見る」というのは、『死に渡され』て、「地下の国」へ行(い)き、「地下の国を見る」、ということではないかと思いますが、いかがでしょうか。

 

使徒の働き2章27節(その6、後半)等の記述より、イエスのたましいはハデスに捨てられた、ということが分かります。

 

「ハデス」は、「シェオル」つまり「よみ」のこと、と言うことができると思います。これについては、一つの話題として、別の投稿で述べようかと考えています。

 

「地下の国」は「よみ」にある「穴」の奥のほうにあると考えられます。「地下の国」について その1(2021-07-08)から「その3」までをご参照ください。

 

エスの場合は、『死に渡され』て、「死を見た」、と言うことができると思います。つまり、「地下の国」を見た、ということです。

 

エスが『死に渡された』のは、「私たちの罪のため」である、ということが、ローマ人への手紙4章25節(上記冒頭)に書かれています。

 

「私たちの罪のため」というのは、「私たちの罪」が『赦される』ため、および、「私たちの罪」が『取り除かれる』ため、ということであると考えられます。

 

エスが「私たちの罪のため」(ローマ4:25)に『死に渡され』てハデスに下られ、そしてハデスから『よみがえられた』ことによって、「だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません」(ヨハネ8:51)、ということになるのではないでしょうか。

 

そしてこの場合、「その人は決して死を見ることがありません」ヨハネ8:51、「その4」前半)というのは、「その人」は『死に渡される』ことはなく、「地下の国」を見ることはない、ということではないかと思われます。

 

言い換えると、「その人」は、「地下の国」にゆくことはない、ということです。

 

いかがでしょうか。

 

その11、に続きます。