「神となる」について その7

新改訳聖書』第3版のへブル人への手紙8章10節に、次のように書かれています。
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8章10節
  それらの日の後(のち)、わたしが、
  イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、
  主が言われる。
  わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、
  彼らの心に書きつける。
  わたしは彼らの神となり、
  彼らはわたしの民となる。
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6行目から、「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」とあります。「彼ら」というのは、「イスラエルの家」のこと、と言うことができると思います。

 

1行目からの「・・・わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約・・・」というのは、4行目からの「わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。・・・」のこと、と考えられます。

 

同じ手紙の8章7節と8節に、次のように書かれています。
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7節
もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、後(のち)のものが必要になる余地はなかったでしょう。
8節
しかし、神は、それに欠けがあるとして、こう言われたのです。
  「主が、言われる。
  見よ。日が来る。
  わたしが、イスラエルの家やユダの家と
  新しい契約を結ぶ日が。
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8節5行目から、「わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が。」とあります。ここで言われている「わたしが、イスラエルの家・・・と・・・結ぶ」「新しい契約」が、10節1行目からの「・・・わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約・・・」である、と言うことができると思います。

 

さらに、同じ手紙の8章6節に、次のように書かれています。
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8章6節
しかし今、キリストはさらにすぐれた務めを得られました。それは彼が、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者であるからです。
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2行目から、「・・・彼が、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者である・・・」とあります。この中の「さらにすぐれた契約」というのは、8節の「わたしが、イスラエルの家・・・と・・・結ぶ」「新しい契約」のことであり、また10節の「わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約」のことである、と言うことができると思います。

 

6節には、キリストは「さらにすぐれた契約の仲介者である」、と書かれています。つまりキリストは「さらにすぐれた契約」、すなわち8節の「新しい契約」、また10節の「わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約」を『仲介』する、ということです。

 

そうすると、10節の「わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約」は、キリストによって『仲介』される、ということになり、10節の「契約」は、「キリスト以降」のことである、ということになります。

 

ということは、「わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。」というのは、「キリスト以降」のことになり、「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」というのも、「キリスト以降」のことになる、と言うことができると思います。

 

いかがでしょうか。どのように思われますか。

 

その8、に続きます。