「神となる」について その4

エゼキエル書11章17節の「集め」「連れ戻し」「与える」という記述と、同章20節の「・・・こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。」という記述の間に、「その1」で述べた19節の「一つの心」すなわち「新しい霊」の話があります。

 

同じように、36章24節の「連れ出し」「集め」「連れて行く」という記述と、同章28節の「・・・あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。」という記述の間に、「その2」で述べた26節の「新しい心」「新しい霊」の話があります。

 

「新しい霊」の話が同じものだとすると、11章17節の記述と36章24節の記述は同じときのことである、と考えられます。そうすると、36章24節の「あなたがたの地」というのは、「イスラエルの地」のこと、と言うことができます。

 

「その2」で述べたエゼキエル書36章28節の「あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住」む、というのは、あなたがたは「イスラエルの地」に住む、ということではないか、と思われます。

 

「わたしはあなたがたを、国々の民のうちから集め、あなたがたが散らされていた国々からあなたがたを連れ戻し、イスラエルの地をあなたがたに与え」(エゼ11:17)たあとに、「あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住」(エゼ36:28)む、ということになると思われます。

 

エゼキエル書36章28節の「あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住」む、というのはどういうことか(その2)、と言いますと、「イスラエルの家」が「イスラエルの地」に住む、ということではないか、と思われます。

 

このようになって、つまり、「イスラエルの家」が「イスラエルの地」に住むようになって、「・・・あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。」(エゼ36:28)と言うことができると思います。