「神となる」について その3

エゼキエル書36章24節に、次のように書かれています。
***
36章24節
わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行(い)く。
***

 

「わたしはあなたがたを・・・あなたがたの地に連れて行(い)く。」とあります。「あなたがたの地」というのは、どこでしょうか。「あなたがた」は、同章22節より、「イスラエルの家」を指している、と言うことができると思います。そうすると、「あなたがたの地」というのは、「イスラエルの家の地」のこと、ということになります。

 

「わたしはあなたがたを・・・あなたがたの地に連れて行(い)く。」という言葉から、「あなたがた」は「あなたがたの地」にいない、ということが分かります。どこにいるのでしょうか。

 

24節には、「わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、・・・」とあります。つまり、「あなたがた」は「諸国」にいるのであり、「すべての国々」にいる、ということです。

 

「あなたがた」がいる「諸国」や「すべての国々」から、「わたしはあなたがたを・・・あなたがたの地に連れて行(い)く」、ということになります。

 

36章24節に書かれていることと似たようなことが、同書11章17節に書かれています。
***
11章17節

それゆえ言え。『神である主はこう仰せられる。わたしはあなたがたを、国々の民のうちから集め、あなたがたが散らされていた国々からあなたがたを連れ戻し、イスラエルの地をあなたがたに与える。』
***

 

1行目から、「・・・わたしはあなたがたを、国々の民のうちから集め、あなたがたが散らされていた国々からあなたがたを連れ戻し、イスラエルの地をあなたがたに与える。」とありますが、これは、36章24節の「・・・わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行(い)く。」と似ています。

 

また、「あなたがたが散らされていた国々」という言葉から、「あなたがた」は「国々」に「散らされていた」、ということが分かります。「散らされていた」ので、「集め」、「連れ戻」す、ということになります。

 

その4、に続きます。