「神となる」について その2

エゼキエル書36章26節から28節までに、次のように書かれています。
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26節
あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたの*からだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。

* あるいは「肉」

27節
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。
28節
あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。
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お分かりになると思いますが、同書11章19節と20節に書かれていることとほぼ同じです。28節1行目からの「あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、」の部分が、11章19節と20節にはありません。

 

また、11章19節と20節で「彼ら」となっていたものが、36章26節から28節まででは、「あなたがた」となっています。「あなたがた」というのは、36章22節の「イスラエルの家」のこと、と言うことができると思います。

 

「・・・わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせ」(27節)て、「あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる」(28節)ということになると思います。これは、11章20節2行目からの「・・・こうして(すなわち、彼らがわたしのおきてに従って歩み、わたしの定めを守り行うようになって)、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。」とほぼ同じである、と言うことができると思います。

 

36章28節では、さらに、「あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住」んで、「あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。」とあります。

 

この28節の「あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住」む、というのはどういうことでしょうか。

 

次に、これについて述べます。

 

その3、に続きます。